藁人形を叩くエントリーです。ここでの批判対象は具体的な個人を指すものではありません。
目次
- 社会運動は味方を集めるもの
- スラックティビズム(怠惰な社会運動)について
- 怠惰なばかりか敵を増やして喜ぶ人たち
- これらは端的に言えば差別主義者
- 差別の正当化を権威に丸投げすることを誇る
- 確かに、疑問を持つ事が常識外れの社会問題はある
- 知ってて当然の事を一々説明し直すのは面倒なものです
- 当たり前で済ませるためにはコンセンサス(意見の一致)が必要
- バカに合わせて説明してやる筋合いは無いのは確か
- こうしたスラックティビストの行動は猿真似の結果
- 話が巧く纏まりません
社会運動は味方を集めるもの
唐突に大前提を話しますが、政治はパワーゲームであります。
が、本質的には味方を集めるゲームであり、敵を倒すゲームではありません。
日本の政治であれば、意見が異なっているとしても、日本人は味方なのです。
反目し合って良いのであれば、内戦でも起こせば良いって話にしかなりません。
社会運動は戦争ではありませんので、国を割って反目し合うように誘導することは社会を良くする運動ではなく、社会を滅ぼそうという運動です。
その後に良い社会を築きたいのであるにしろ、基本的には破壊者ですよ。
ちなみに、保守こそが国を割るまいとする側と勘違いしてる保守は多いですが、基本的には保守と革新が国を割るもんで、ネトウヨは基本的に割ってる側ですからね。
割れないように努めてるのは穏健派とか中立派なの。
スラックティビズム(怠惰な社会運動)について
世間に革新や、革新的な政治について理解を求める割に、自分から説明はしないばかりか、理解が及ばなかったり、説明不足を言及する人を馬鹿にし始める人が後を絶ちませんね。
こういう、
「内輪ウケの良い念仏を唱えるだけで、周囲の理解を促す気がサラサラ無い」
ってな人々を指す言葉としてスラックティビズムという言葉があります。
直訳すれば怠惰な社会運動、でしょうか。
ja.wikipedia.org「いいねをするだけで社会運動やった気になる」だとか、美徳シグナリングに終わってれば特に問題は無いと思うのですが、ここ最近は、その怠惰さによって反感を持つ人を増やして喜ぶバカタレがデカいツラをしている所に危機感があります。
怠惰なばかりか敵を増やして喜ぶ人たち
僕が問題視しているスラックティビストはこういう事をやる奴です。
- 相手に通知が行く形で否定的言及をするが、根拠を示さない
- 問い合わせに対して分からない方が悪いと言い放つ
- 批判に対して批判に応じる前から批判者の人格を批判し始める
- 改善提案をしない、または何者かの迫害による解決を提案する
- 相手の知性を下に見て、批判に応じない姿勢の正当化を試みる
このような社会運動との向き合い方は、対立意見側の問い合わせが穏当でごもっともで、同じ疑問を持つ人が多いほど、対立する人が増えます。
これらは端的に言えば差別主義者
話の内容より発話者の属性を重要視することは直球の差別ですし、発話の姿勢や態度の方が重要だとする姿勢はトーンポリシング(語調警察)そのまんまでしょう。
そもそも、相手の話に対する理解が及ばない内から相手の話を間違いと断じる根拠は何処から涌いてくるんだか…
何らかの理解が及んでいれば、端的な言及が出来るはずなんですよ。
あるいは、話が難しいことからギブアップを表明出来るのです。
まぁ、衒学ぶって相手をバカにしたい場合は、自説こそが常識でなければ困るわけで、となると割と専門的でディープな話であることを白状出来ません。
あるいは専門領域であることも、話が割と複雑であることも理解していない向きも居そうですね。
怠惰な差別主義者であるが故に。
差別の正当化を権威に丸投げすることを誇る
己の差別行為、主に誹謗中傷を正当化するために用いられる権威が「ポリティカルコレクトネス」であったり「フェミニズム」であったりするもんで、ネットでイザコザをヲッチしてる人ならこれらの権威がもうズタボロになってるのはご存知かと思います。
それらはスラックティビストの衒学ポーズのために消費して良いモノでは無いと思うのですが…
相手の話の内容が上手く掴めない事や、端的に返答が出来ないであるとかを
「己の未熟によること」
と出来ずに、権威にブン投げて回るのは恥でありこそすれ、誇れるモンでは無いのです。
しかし、怠惰ゆえに深く考えず、故に気付きもしないようですが…
確かに、疑問を持つ事が常識外れの社会問題はある
疑問を持つことが常識外れとされる社会問題はいくらもあります。
けれど、疑問を持ってはいけない社会問題もまた存在しません。
但し、一般的ではない疑問に誰もが付き合う義理も基本的にありません。
疑問を唱える人、その疑問に答える人、疑問から導かれる結論を否定する人が各々好きにすれば良いだけの話なのです。
ポリティカルコレクトネスって、実は後者に属する相当にややこしい概念です。
今でこそマジョリティ面してますが、そもそも多数派であるなら理解を求めること、つまり興味関心を持って貰う意味なんて無いし、逆に、興味関心を持たれた際により深く理解されるべく、言語化に努めるべきなのではないでしょうか?
実際は興味関心を引くために方々にケチを付けて回るものの、その意義について問われれば問うた人を馬鹿にするだけの活動をしているワケです。
何でコレがデカいツラ出来るんでしょうかね…?
知ってて当然の事を一々説明し直すのは面倒なものです
「1+1=2」が成り立つ理由について説明を求められると結構みんな困ると思います。
こういう根本的な部分の説明を逐一求めることで話を混ぜっ返す連中ってのは確かに居て、説明させるだけさせておいて後は放置するといった格好で相手を疲弊させる悪人が居たりするもので、説明せずに放っておくという判断は確かにあり得るものだと思います。
しかし、一事が万事をスルーで済ませるのは如何なモノでしょう?
少なくとも、通知を送った以上は批判者側にイニシアチブ(主導権)があったわけで、その責任ぐらいはあると見られるモノだと思います。
当たり前で済ませるためにはコンセンサス(意見の一致)が必要
当たり前だで話を済ませるには意見の一致が必要です。
なんでこんな事を態々言うかといえば、スラックティビストは往々にして一部の業界における常識を一般常識と誤解しがちなのです。
方言を標準語だと言い張られるようなもので、聞かされる側はとても困りますが、スラックティビストは横着者ですので、配慮なんか一切してくれないのですよね…
知ってて当然として扱える基準は、義務教育で履修しているハズの内容である、ぐらいなモノかと思います。
法律、条例、学説、論文、一部報道などなど…
これらを常識として良いのであれば法律家も学者も要らんのですよね…
ですが、スラックティビストはなぜか、これらを常識としたがります。
権威に対するフリーライドに何の痛し痒しも感じない辺りは流石ですよ。
バカに合わせて説明してやる筋合いは無いのは確か
どう噛み砕こうが理解出来ず、原理、原則、具体例など、いくら懇切丁寧に話をしてもまるで通じず、逆に話をあらぬ方向に広げ混ぜっ返しては喜ぶようなバカに付き合う義理は無いのは確かなのです。
が、
そのバカが世間の多数である場合、相手がバカだから相手にしないという選択は、すなわち同じ疑問を持つ人々全てに向けて侮った態度を取っているに等しいのです。
こうなると、もはや敵を増やして喜ぶバカが賢しらぶっているようにしか見えません。
- 自分の説明に問題が無かったか
- 知っている人向けの話になっていなかったか
- 知らない人がこれから知っていくために適切な言葉を選べていたか
- 長い話であれば、飽きさせない工夫は出来ていたか
こういう観点は大事な事かと思います。
特に、長い文章を読んでいただくにあたって、この本文のようなユーモアに欠けた状態は割と致命的に駄目ですね…
こうしたスラックティビストの行動は猿真似の結果
「もっともな疑問」
と
「話にならない疑問」
を見分けられないまま、
「相手の疑問に答えなくて良い」
「相手は偏見で見下しても良い」
という誤った学習をした結果が、
「パヨク念仏を唱え対立意見を見下し、自説を噛み砕いて話せない」
という、なんともブザマ極まる阿呆が出来上がるんだろうなと想像しています。
話が巧く纏まりません
だめだこりゃ…
なんだか話が延々広がり続けて纏まらないので、とりあえず纏まらないままブン投げておきます。ごめん。
僕自身が左派であるため、こうした人々の活動に対し、非常に迷惑に感じているのですが、好きなように中傷して周りたい人にとっては僕みたいな言及をする人の方がむしろ邪魔でしょうから、反目し合うしか無いでしょうね…
僕自身、正しい立場でモノを言えてないってのがあるのかもね。
要反省。